壺屋焼
浜松骨董市の続き。
沖縄のやきもの、
壺屋焼の器を競り落とした。
このやきものにも柳宗悦の影響があるという。
私も気に入った。
(ウィキペディア/フリー百科事典より)
・
壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋地区及び読谷村その他で焼かれる陶器。現在では灯油窯やガス窯を用いながらも、伝統の技術と技法を受け継いでいる。
・琉球王国は古くから交易が盛んで、東南アジア方面との交流が活発だった。そのとき、流入してきたのが南蛮焼と呼ばれる焼き締め陶器であり、琉球では主に酒器などを自足するため技術を学び、自国で焼き始めたといわれる。
(中略)
・再生の転機は、大正の終わり頃から
柳宗悦によって起こされた民芸運動に陶工達が触発されてからである。柳や
浜田庄司らは1945年頃まで折りにふれて来島し、
金城次郎や
新垣栄三郎ら陶工に直接指導や助言を行い、また壺屋焼を東京や京阪神などで広く紹介したため、生産も上向きになった。
・今日、壺屋焼があるのはこの民芸運動家らによるところが大きい。彼らは日本国内で生産される日用雑器の「
用の美」と呼ばれる実用性と芸術性に光を照らした。そして壺屋焼を、本土にない鮮やかな彩色が目を惹き、庶民の日用品でこれほどまでに装飾性を兼ね揃えたものは珍しいと評価している。
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