引間城主・飯尾氏の末裔についての情報をお寄せ下さい! 浜松 古書百寿堂

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お願い:引間城主・飯尾氏の末裔についての情報をお寄せ下さい!

昨年12月、法華宗・東漸寺の前住職より電話で、「飯尾(連竜)氏の五輪塔を祀っているが、子孫との接点がない。そのためずっと飯尾氏の末裔を探している。協力してほしい」と。

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その後、手がかりの一つとして飯尾氏の末裔であるという東京都渋谷区原宿にある源氏山とよばれている飯尾氏の墓と由来の看板の写真・資料が送られてきた。

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うーん、どのようにすすめようかと正直悩んでいる。今川氏真に謀殺され、その後に引間城に残った妻子・家臣がが徳川家康に攻め落とされた落城した子孫を探すのは、難しいといわざるを得ない。飯尾家は断絶と著名な歴史学者や郷土史家も書いている。

そんなことで、私のブログで全国の飯尾さん、お寺関係者のみなさんへ呼びかけようと考えた次第です。

関連する情報がありましたら、ぜひ下記までお寄せ下さい。

静岡県浜松市中区中沢町17-18
 ☎053-472-3975
浜松 古書百寿堂 飯尾 雅彦(いいお 雅彦)


メールアドレス hyakujyu-iio@po3.across.or.jp

<追伸>

東漸寺が、先の戦災で寺が焼け古文書等がほとんど残されていないということも、この調査を困難にしている大きな原因となっている。私の家の姓がたまたま「飯尾」であるという縁で、協力は惜しまないと考えているが・・・。


[参考資料]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

飯尾 連龍
時代戦国時代
生誕不明
死没永禄8年12月20日(1566年1月11日)
別名善四郎、致実、乗龍、政純
官位豊前守
主君今川義元 → 今川氏真
氏族飯尾氏(漢族系三善朝臣)
父母父:飯尾乗連、母:出自不詳
兄弟松井宗親室
妻お田鶴の方
子辰之助[1]、辰三郎[1]、義廣、正宅[注釈 1]

生涯
「飯尾氏の出自は三善朝臣といわれる。もともと室町幕府の奉行衆であり、飯尾長連の代に駿河国に下向、以来代々今川氏家臣として仕えたと伝えられているが、『宗長手記』には長連は三河吉良氏の家臣で今川義忠の遠江侵攻に呼応して戦死したと記しており、その後の記録でも吉良氏の家中で親今川派の重臣であったことが確認されている。吉良氏を離れて今川氏に従ったのは、今川氏が遠江全域を占領して吉良氏から浜松荘を接収して以降と考えられている。

永禄3年(1560年)今川義元が桶狭間の戦いで討死にすると今川氏を取り巻いていた力関係が崩れだした。駿遠の土豪たちはそれまでどおり今川氏に奉公するか、甲斐の武田信玄につくか、尾張の織田氏、三河の徳川氏に味方するかで騒然となった。永禄5年(1562年)、連龍が松平家康を通じて織田・徳川方に通じたことを知った今川氏真は突如曳馬城を攻めたが、今川方は曳馬城を落とすことができず、連龍と和睦し一旦退いた。またこの戦いで寄せ手の氏真方の大将の新野親矩や三浦正俊、中野直由ら、飯尾氏の側でも重臣湯屋、森川、内田等が戦死した。しかし、連龍に対する疑念を拭い去ることができなかった氏真は連龍を駿府に呼び寄せた。永禄8年(1565年)12月、連龍はわずかな供を連れて駿府に入ったが、駿府城内の一角で氏真によって謀殺された。」

子孫
長男に義広がおり、義広の誕生を祝って始められたのが「浜松まつり」の凧揚げであるとされている。その起源は、室町時代の永禄年間(1555年 - 1569年)に、引間城(現在の浜松城)の城主であった、飯尾豊前守(連龍)の長男・義広の誕生を祝って、入野村の住人であった佐橋甚五郎が義広の名前を記した大凧を揚げた、という史書『浜松城記』の記述を定説としていたが、近年になってこの縁起そのものが大正時代の創作であるとする研究が進んでいる。
東京都渋谷区の一地域(現在の原宿・竹下通り・表参道周辺)である穏田(旧・穏田村)の旧家である飯尾氏は、飯尾連龍の次男の子孫であると自称している。「天正年間に同地に移住してきた浜松曳馬城最後の城主である飯尾豊前守正純(連龍)の次男の飯尾弥太夫(正宅)が入植し、同地を飯尾氏が源氏である旨をもって源氏山と名付け、江戸幕府三代将軍の徳川家光に言上した」と伝えられている[注釈 2]。

注釈
^ ただし、伝承のみ。
^ ただし、飯尾連龍の次男は良質な史料では確認されておらず、また飯尾氏の先祖は三善朝臣であり源朝臣ではない


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